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zoom RSS 歴史 山部赤人の田子の浦ゆはどこか?

<<   作成日時 : 2017/01/05 19:29   >>

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<歴史 山部赤人の田子の浦ゆはどこか?>
前記事で紹介した山部赤人(やまべのあかひと)作の次の和歌を再掲しておきます。作者赤人は、どこでこの歌を詠んだのだろうか!?気になった。

>田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける(万葉集)

>田子の浦に うち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ(百人一首)

(総説)
山部赤人は、奈良から東国へ下向したのだろう。すると徒歩で海道沿いを行くことになる。上の二歌の赤人の原歌はもちろん一番目の方だ。二番目は、藤原定家の改編作だ。前者と後者では、”ゆ”と”に”で微妙に表現が異なる(最終項で検証する)。先ず田子の浦とは、どこか? 富士山眺望の景勝地であることは間違いない。赤人は徒歩・海道沿いだから、海抜の低い土地から詠んだことが推定できる。1高地なら、富士山は展望できるが、赤人には立ち寄る動機がない。日本平(静岡市清水区馬走標高307m)は、富士山景勝地だがそれに当てはまる。2低地であっても三保の松原(同市清水区三保)は、脇道にそれるので任務で下向中の赤人が立ち寄る余地がない。すると、限られてくる。1低地の海道沿いであること。2低地からの眺望で麓から富士山の全貌が見える場所ということになろう。

(田子の浦とはどこか?)
現在の富士市田子の浦(かつてヘドロ公害で話題になった)でないことは、定説だ。すると”浦”とは、海が湾曲して陸地にはいり込んだ所(広辞苑)とある。Wikipedia田子の浦では、静岡市清水区の薩た峠の麓から由比・蒲原あたりまでの海岸を指すとされる(久保田淳『富士山の文学』)とある。ということは、山部赤人が歩いた海道の「田子の浦」は、現在の静岡市清水区”由比”(→下記地図参照)あたりの海岸と考えるのが自然だ。ただ由比あたり(古代の田子の浦)の海道からは、蒲原地区山手の大丸山付近の丘がジャマして、富士山の麓部分は眺望できない。

(結論どこで詠んだのか)
すると前掲二歌に戻り、百人一首の方は、田子の浦(現在の由比地区)その場所でとなり、消去法で消える。結局万葉集の田子の浦”ゆ”に戻り、赤人の歌は、”ゆ”なので、田子の浦を通り過ぎて、視界が広がって富士山が麓から眺望できる”初めての”場所となろう。そうすると現在の静岡市清水区蒲原付近であると推定できる。
なお、下記参考書籍1の著者(久保田淳東大教授・中世文学)は、現在の静岡市清水区由比あたりとするが(同書22頁)、それだと上述のように百人一首の語義には合うが、赤人の原歌の語義には合わなくなってしまう。読者の皆さんはどう解釈されますか!? 古代の歴史の解釈、この辺がおもしろい所だと感じます。

前記事】<和歌 山部赤人・田子の浦ゆ?に?>

【参考書籍】
1久保田淳『富士山の文学』
2富士学会『富士山の大図鑑』
3佐野充『富士山まるごと大百科』


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