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zoom RSS 歴史 矢木 毅『韓国・朝鮮史の系譜』

<<   作成日時 : 2017/05/02 23:26   >>

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<歴史 矢木 毅『韓国・朝鮮史の系譜』>民族意識・領域意識の変遷をたどる
表題は、ネットで見かけた書籍の紹介です。以下に目次だけを掲げておく。管理者Gは、歴史が好きで関連書籍を読んでいる。朝鮮史も隣国の歴史であるので重要だ。どこの国に限らず隣国とは様々な問題を抱えているのが歴史の常だ。「竹島問題」「慰安婦問題」がそれだ。「竹島問題」は、右でリンクしている<日韓近代史資料集>で、いろいろ勉強させてもらっている。以下の問題点もそのサイトから仕入れたものが多い。

目次
第1章 朝鮮史の幕開け
第2章 三韓から三国へ
第3章 北進政策の展開―高麗時代(1)
第4章 檀君神話の誕生―高麗時代(2)
第5章 古朝鮮の継承―朝鮮時代(1)
第6章 間島への道程―朝鮮時代(2)
第7章 大韓帝国の夢
終章 歴史観の相克

この書籍についての研究者の「書評」(論文)があった。忙しい現代人には、この書評紹介が手っ取り早い。

リンク】中野耕太『矢木毅著『韓国・朝鮮史の系譜 ―民族意識・ 領域意識の変遷をたどる』 Wikipedia満鮮史(再評価の動き)より

それによると、朝鮮と中国東北史の関係を排除・断絶されたため、朝鮮一国だけでとらえることにより「自国中心の歴史認識」の基盤となり[130頁]、朝鮮史を東アジア史でとらえることができなくなり、朝鮮史が中国から影響を受けたこと、朝鮮が中国から文化・文明をもたらされたこと、朝鮮史における中国人士の活動などが唾棄され、中国-朝鮮の宗主国-属国関係、支配-被支配関係がとらえることができなくなり、戦後の韓国人による韓国史研究が韓国でしか認められないようなナショナリスティックな歴史観を生み出し(例えば韓国の歴史教科書が記述している、檀君は実在した・檀君は実在したが箕子は実在しなかった・衛満は朝鮮人だった・楽浪郡は北京・遼東にあった・新羅の建国年は紀元前57年だった・遼西に百済領があった・渤海は朝鮮の国だった)、

そのような韓国のナショナリズム的性向を帯びた歴史観が「竹島問題」・「高句麗論争」・「渤海論争」など他国と軋轢を生む結果となり、したがって戦後日本や韓国の朝鮮史研究の一国史観に対する反省と戦後日本や韓国の朝鮮史研究の一国史観から脱却するため、満鮮史の視覚を再評価する動きがある[131頁]。<

−−−−−

(歴史を直視する勇気)
上記までは学術書・その書評の引用だが、朝鮮の歴代王朝が中国の王朝の属国だった事実が、現在の韓国では公に触れられることはない。その一例を示しておく。
李氏朝鮮の時代は、完全に清(満州族の中国王朝)の属国だった。大清皇帝功徳碑(三田渡碑ともいう)がその象徴だ。朝鮮王(仁租)が、1637年に清※にコテンパンにやられて、その記念に建てらされたのがこの碑だ。爾後日清戦争(1895年)まで、李氏朝鮮は清の属国だった。朝鮮王は、迎恩門(日清戦争直後この門は破壊されて代わりにその跡地に「独立門」が建立された)の前で、三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい・一種の土下座)をもって、清の使節を迎えていた。このような歴史を直視すべきだ。歴史を修正・歪曲しているのは、どちらかということだ。

※この頃(1637年)の清は、満州地方を支配するだけの王朝にすぎなかったが、1644年には北京に入城し、中原の覇権を握ってそれまでの明に替わって中国大陸を支配する王朝となった。

関連前記事】<歴史 「朝鮮は事実上、中国の一部だった」発言>

【参考外部リンク】
amazon矢木 毅『韓国・朝鮮史の系譜』
Wikipedia満鮮史

(あとがき)
歴史本の紹介というより、その書評の紹介だ。「満鮮史」という日本の戦前戦中の歴史研究があった。韓国では 「植民地史学」といわれて忌避されているが、最近再評価されているという。それは韓国側の歴史修正が看過できないレベルまで来ているからではないか!?と管理者Gは考える。

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