憲法 管理者Gの護憲派宣言

1<憲法 管理者Gの護憲派宣言>
いまの憲法典については、国論を二分して”護憲派””改憲派”などといわれています。この護憲というコトバは、大正デモクラシー期の「護憲運動」から来ています。いまの護憲派に使うべき用語ではありません。いまの護憲派は、「誤憲派」というのが正解です。とても護憲派ではありません。

すると管理者Gと同じ見解を持っている方がいました。イヤ向こうは大学の先生(長崎純心大いしゐ准教授)なので、Gの方がその方と同じ見解だという方が正しいでしょうか。いしゐ氏の見解は、憲法典(第9条)には”自衛権”(の範囲)は規定していないということです。そして、いしゐ氏はさらにいいます。いまの改憲派も、「誤憲派」だと(笑)。→<-尖閣480年史-いしゐのぞむブログ>男系の皇統と尖閣古史 『日本人に「憲法」は要らない』

2<憲法 護憲派も改憲派も「誤憲派」>
憲法(特に第9条)は、自衛権(の範囲)を規定していないので、憲法(条文)改正不要との見解です(いしゐ氏)。
この解釈はあながち不当とも言えません。以下がその論拠です。憲法第9条については、1947年(昭和22年)の制憲時は自衛権も否定していました(吉田茂首相国会答弁)。しかし、その後政府は、自衛権は国家の自然権であり憲法で否定されていないという解釈に変更しました。爾後、「自衛隊」を保有し自衛戦争がありうることが認められました。このように制定時の憲法典第9条は、自衛権を想定していなかったので、自衛権の内容(具体的にはその範囲)については、もっぱら”解釈”によることができるという理論です。→<-尖閣480年史-いしゐのぞむブログ>護憲派宣言!改憲に反對します 改憲すると逆に尖閣を防衞できなくなる

【関連前記事】
<憲法 集団的自衛権の論点紹介>
<憲法 ボクが「改憲派」をやめた理由>

この記事へのコメント

  • 会社員(30)

    シールズのような誤憲派がでてくるのは憲法とは何かを教えていない教育に問題があると思います。おそらく中学高校の日本史の教員ですら「大正デモクラシーの護憲運動」を理解しているのはごく少数でしょう。

    大正デモクラシーは憲法の精神を守れと言ったのであって、憲法典の条文を守れと言ったのではありません。この場合の憲法の精神とは帝国憲法の基となった五箇条の御誓文「広く会議を興し~」の部分であり、国民の選挙権を要求しました。

    一方で現在の誤憲派は9条の条文を守れと言っているので全く違います。しかも9条を含む日本国憲法(=占領憲法)自体が日本の歴史文化伝統に基づいたものではないので何の精神もありません。
    占領憲法の条文とにらめっこしながら「変える・変えない」の議論をしてもなんの意味も無いと思います。
    2016年09月04日 07:27
  • 管理者Gくん

    会社員(30)さん、”誤憲派”の使用ありがとうございます。リンク先のいしゐ氏も使用してくれるとの事です。護憲派のコトバの由来は、会社員(30)さんがコメントしてくれたことをかつて教えてもらったので、本文冒頭で使用させてもらいました(感謝)。

    現在の誤憲派は、憲法典のある条文の文言だけを強調して解釈しようとします(東大宮沢憲法学が流れを作って通説化)。先日米の副大統領が、日本の憲法は我々(具体的にはGHQ)が書いたと公然と発言しました。現地日本大使館も、しぶしぶそのこと認めるという珍事も生じました(笑)。

    最後もそうなんです。条文とにらめっこして変える・変えないはナンセンスです。いしゐ氏は、現在の条文改憲派も”誤憲派”だとして手厳しいです。
    リンク先2では、憲法典(第9条)を変えるとなると現在規定していない「自衛権」を規定してしまうことになって、かえって尖閣が守れなくなってしまうといいます。また、条文改定に力を入れると防衛に精神が集中しなくなり、尖閣防衛がおろそかになるとも言います。尖閣ファースト(小池都知事の都民ファーストならぬ)のいしゐ氏らしい言い方です(笑)。そして、今でもできる尖閣への公務員常駐などできることもやらないのなら、憲法の条文だけ変えても同じだ、と結論します。
    2016年09月04日 09:54

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